昨日NHK大河ドラマ「真田丸」を見ていたら、天正地震について放送されていました。
天正地震は秀吉が天下統一に取り掛かっている時期に起きた地震で、西暦1586年1月18日に日本の中部地方を中心に大きな被害をもたらしたものです。
放送では、石川数正の裏切りにより秀吉の侵攻を恐れる徳川家康でしたが、この地震による復興を秀吉が最優先しなければならなかったため、侵攻は取りやめとなり命拾いしたという展開でした。
以前に放送されたNHK大河ドラマ「功名が辻」では、天正地震により山内一豊の居城である長浜城が地震に襲われ倒壊し、一豊の娘が命を落とすというシーンがありましたよね。
実際にこの天正地震は、甚大な被害があったようです。どのような地震だったのでしょうか。
天正地震とは
松平家忠の日記によると地震は天正13年(1586)1月18日の亥の刻(22時)に起こったようです。日付の変わった午前2時にも大きな余震があり、その後1か月間はほぼ毎日余震に見舞われたそうです。
ただしこの地震が起こった日や時間については様々な説があります。
これほどの大規模な地域に渡っての地震なので、1つの断層だけでなく複数の断層が時間差で動いたということも考えられますね。
天正地震は、日本海の若狭湾から太平洋の三河湾まで被害が及ぶという、まさに日本列島を南北に切り裂いたかのような大きな地震だったようです。
若狭湾から伊勢湾にかけてというのはかなりの規模となりますよね。それほど大きな地震だったということでしょう。
ただ現在の調査においても、その震源や震源断層、マグニチュードなどはよくわかっていないというのが現状のようです。(マグニチュード8前後はあったのではないかと考えられています。)
天正地震の被害
多くの城が倒壊
この時代は豊臣秀吉が天下統一に向かっていた時期なのですが、多くの城が倒壊しているようです。
中でも現在の白川郷一体を支配していた内ヶ島一族は、天正地震による山崩れでその居城である帰雲城もろとも埋没してしまい、一夜にして一族が滅んでしまいました。
その他にも、越中砺波郡にある木船城が崩壊し前田利家の弟である前田秀継夫妻が死去、先にお話ししたように長浜城が崩壊し山内一豊の娘が死去、美濃にある大垣城が倒壊、伊勢にある長嶋城が倒壊、三河にある岡崎城が大破するなど北陸・中部・東海にあるたくさんのお城が被害を受けています。
津波の被害
内陸型の活断層による地震で津波が起こるというイメージはあまりないのですが、この天正地震では、若狭湾・伊勢湾で津波による被害も確認されているようです。
まあ確認されているというのはいいすぎかもしれませんが、当時の記録によると津波があったことが記されているようです。
当時の津波の記録は、ルイスフロイスの「日本史」、吉田兼見の「兼見卿記」などに記されているのですが、あまり津波のイメージがない若狭湾でも大きな津波に襲われたのはちょっと驚きです。
この若狭湾で過去に津波被害があったという話は、原子力発電所の安全性と関連して数年前から論争されていることでもあります。
若狭湾の原子力発電所と津波
たくさんの原子力発電所がある若狭湾では、元来津波による危険性はほとんどないと考えられてきました。
しかし福島原子力発電所が津波による被害を受けたのち、この天正地震で若狭湾にも大きな津波被害があったことが判明してきました。
判明してきたというより、
「若狭湾に原発がたくさんあるけど福島と違って津波は大丈夫なの?」
⇓
「若狭湾には津波なんて起こらないよ」
⇓
「いや、天正地震で津波被害があったらしいけど?」
⇓
「そんな被害があった証拠は残されていないよ」
⇓
「内陸部で津波被害の痕跡があるらしいけど」
⇓
「そんな被害があった証拠は残されていないよ」
このような堂々巡りが続いているようですが、本当に大丈夫なんですかね?
私自身は何が何でも原発反対というわけではなく、本当に安全に運用できるのなら原発があってもいいと考えているのですが、安全性は確実に確保してもらわなければ困りますよね。
福島のように「想定外」ということはもう二度と許されないでしょうから、どんな地震が起こっても「想定内」といえるような対策を施してもらいたいと思います。(まあ福島も本当は想定内だったらしいですけど・・・)
でも正直なところ、今の関西電力を見ていると安全対策に不安がありますよね。
原発を稼働させないと経営状態が安定しないというのはわからないでもないのですが、安全対策よりも利益優先なのがなんとなく見えてきます。
電力自由化でかなりが新電力に流れたようですが、企業としてのあまりにイメージが悪くなると、これからも顧客離れが進んでしまいそうな予感がします。
どこかで原発依存の体制から脱却したほうが、数十年先は経営が安定していきそうな気がするのですがどうなのでしょうね。
地震の活動期には注意が必要
地震というものは、頻繁に起こる時期というものがあるようです。
この天正地震が発生したのち、1596年には「慶長伊予地震」「慶長豊後地震」「慶長伏見地震」が起こり、1604年には慶長地震と呼ばれる東海・東南海・南海連動型地震が起こりました。
このほかにも慶長会津地震や慶長三陸地震などマグニチュード7~8クラスの地震がたびたび発生しているようです。
この時と同じように現在も地震の活動期といわれていますよね。
1994年の阪神大震災に始まり、2011年には東日本大震災が発生しました。
特に東日本大震災は、869年に発生した貞観地震の再来だとも考えられており、この貞観地震前後には富士山の噴火や南海地震があったと考えられているので、現在においても地震に対する注意をしておく必要がありそうです。
地震に対する注意といっても、「非常食を用意しておく」「タンスなどが倒れないようにしておく」「家族で避難場所を決めておく」など、できることは限られているのですが、それだけでも準備しておくのとしておかないのでは大きな違いがあると思います。
小さなことでもそれが大きな結果となって表れる可能性がありますので、地震に対する備えをしておくことを私自身も肝に銘じておきたいと思います。